「禅関策進」2024年4月【No.248】

禅の修行に関心を持たれる方の中には、『禅関策進』という書をご存知の方が多いと思います。雲棲袾宏(うんせいしゅこう)という中国明末の高僧が多くの語録などの中から禅修行の模範となるような事例を集めて編纂したものです。特に臨済宗中興の祖といわれる名僧である白隠禅師(1686-1769)がこの書物に出会って、横道にそれかけていた修行生活を軌道修正できたということは、良く知られています。

白隠禅師が進む道に迷っておられた時に、本の虫干しに際して「どうか私の進むべき道をお示し下さい」と祈願して取り上げた本が『禅関策進』の「慈明引錐自刺」の一節だったのです。そこには、「慈明(石霜祖圓)禅師は何人かの道友と一緒に汾陽(ふんにょう)禅師の道場に参じた。黄河の東の河東地方は極寒の地で修行者のほとんどがその寒さにたじろいでしまった。しかし慈明禅師は仏道の真髄を会得しようと朝夕怠ることなく修行に励んだ。その修行振りは夜坐の際に居眠りが出そうになれば、錐(きり)で股(もも)を刺して工夫したという凄まじいものであった。のちに汾陽禅師の法を嗣いで、道風が大いに振るい、西河の獅子と呼ばれた」とあった。慈明禅師のこの苦修の一段を見て、白隠禅師は古人のように真剣に工夫すれば必ず大悟の時節があることを確信して、『禅関策進』を日々の策励の言葉としたということです。

わが国の独創的哲学者であった西田幾多郎博士も伊庵の有権(うごん)禅師に関する一節をその日記に書きとめておられたと記憶しています。それは「伊庵の有権禅師はその修行振りが猛烈であった。晩になると必ず涙を流して言った、『今日もまたこんな風に空しく過ぎてしまった。まだ明日の工夫がどのようになるか分からない』と。禅師は大衆の中にあって人と一言も話さずに工夫に励んだ」という逸話です。

私も修行時代に伊庵の有権禅師のこの因縁を寮舎(役付きの雲水の部屋)の机の上に書き置いて、工夫に励んだことがあります。最近は出家して禅の専門道場(「僧堂」と申します)で本格的に修行をしようとする青年が少なくなって来ているようですが、中には『禅関策進』などを見て発奮して工夫三昧の日々を過ごす雲水がいることを信じたいものです。出家者だけではなく、在家の方々も優れた古人の修行振りを模範として工夫の日々を重ねて、大いなる法悦の境地を味わって頂きたいと思わずにはおれません。

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