「陰徳と陽報」2025年01月【No.257】
新年明けましておめでとうございます。昨年は元旦早々に能登半島の大地震があり、大変な新年の幕開けとなりました。今年はそのような悲惨な災害で苦しまれる方々が出ることのない一年であってほしいと念願せずにはおれません。私は南禅寺の管長を拝命しております関係上、いつもその年の干支(えと)の色紙を書くのですが、巳年の本年は「吉祥」という字を書きました。巳は脱皮を繰り返して新たな自分に生まれ変わるので、古来縁起の良い生き物として考えられております。私が住職をしている南禅寺境外塔頭の光雲寺には、奈良時代以来830年ぶりの女性天皇に即位された明正天皇が350年前に寄贈された梵鐘があります。明正天皇は光雲寺を移転復興された東福門院(後水尾天皇の皇后)の第一女であられました。除夜の鐘をつきに見えた方々はいずれもその類い稀なる音響の素晴らしさに感激しておられました。昨年から除夜の鐘をつきに見えた方々には干支の色紙を差し上げるようにしております。今年はさらに畑で栽培して収穫した冬瓜も持って帰って頂きました。お見えになった方々を歓待するのは心地良いもので、皆さん方が悦んでお帰りになる様子を拝見していますと、こちらまで嬉しくなって参ります。
さて今回申し上げたいのは「陰徳と陽報」ということです。これは他人に知られることなく良い行いをすれば、必ず良い報(むく)いが現れるということです。私は自分が住職をしております光雲寺境内内外の掃除を朝夕二回致します。特に紅葉がしきりに散る時節などは夕方にブロアーを使って掃除しておかないと、ヘッドランプをつけての早朝の掃除が大変になります。夕刻にブロアーを使ってお寺廻りの掃除をした時のことです。西田幾多郎博士が思索にふけられながら散策されたのでその名がつけられたといわれる「哲学の道」へ上がる石の階段がきれいで、ほとんど落ち葉や枝が落ちていないことを不思議に感じました。後日ブロアーを携えて石段の上から杉の枝葉を掃き落とそうとしましたら、年配のご婦人がおられて、「今日はもう掃除をしなくてよろしいですか」とたずねられました。幾度かこのようなことを経験して、私はこの方が頻繁にこの石段の掃除に来られているのを確信致しました。そして今年の1月で77歳の喜寿を迎える私よりも年長の80代にお見受けできるご婦人が、わざわざこの石段の掃除に何度も見えていることに、感服致しました。
ゆっくりお話ししたことはないので、お住まいがどこかも存じませんが、自発的にこのような陰徳(隠れた徳)を積まれていることの理由を、お抹茶などの接待をしながら一度お聞きしたく思っております。そのご婦人の風貌は実に穏やかで、円満なお人柄が一目瞭然でわかります。こうしたことをされる方は必ず心も安らかになり、人といがみ合うことなどなくなることでしょう。その柔和なお顔を拝見して、私の脳裏には「陰徳陽報」という言葉が思い浮かびました。世間には何かと他人のことを批判したり、誹謗する人もいるものですが、そうした人たちはかのご婦人のような柔和な風貌になることがなく、険(けん)のある顔つきとなり、心の中も穏やかでないはずです。どうせなら私がお目にかかったご婦人のように、陰徳を積んで人様の心を安からにするような人間になりたいものです。皆様方も何か自分にできることはないかとお考えになりませんか。