楽しい人生を生きる
東洋には、聖賢の教えを謙虚に学び、それを糧(かて)として自らの人生を充実して楽しく生きるという伝統が連綿として伝わっていたが、今やその美風もほとんど消えうせた感がある。精神的不毛の現代に今一度この聖賢の息吹を吹き込み、互いに「楽しい道」を歩もうではないか。
はじめに
不思議なことだ、不思議なことだ。
すべての生きとし生けるものは、
ことごとく如来の智慧徳相1をそなえている。
ただ妄想と執着があるために、それが納得できないのである。
(ブッダの言葉)
孔子は、勝手な心を持たず、無理押しをせず、
執着をせず、我を張られなかった。
その人柄は、温良恭謙譲2であった。
(『論語』より)
君子はその境遇を天命と心得て、
それ以外のことを願わず満ち足りている。
富貴であってもおごることなく、
それにかなった仕方で道を行ない、
貧賎であっても卑屈にならず、
それにかなった仕方で道を行ない、
未開の蛮族の中にあっても道を守り、
艱難に出会っても恐れず心配せずに、おのずから的確に対応する。
このように、君子はいかなる境遇になろうとも、
不平不満の念を起すことなく悠々自適する(自得する)ものである。
(『中庸』より)
「楽道庵」開設の主旨
これらは、東洋の聖人賢者たちの残された言葉の中から任意に取り上げたものである。これを見ただけでも、東洋の先人達がわが身を修養して身につけられた人生の智慧が、いかに高邁で意義深いかが分かるであろう。しかし、現代の日本人は、もはやそうした精神的遺産を顧みなくなってすでに久しい。かえって海外の人々の方が、いま東洋的生き方に注目しているようなありさまであるが、この現状はまことに残念なことである。
そこで、日本および海外の人々が、東洋の精神的伝統を再認識することによって、人生を充実して心から楽しく送れるようにとのささやかな願いから、このホームページ「楽道庵」を開設したのである。
このホームページは、もとより特定の宗教的・政治的組織とは無縁であり、何らの政治的意図をもつものでないことは、お読み頂ければどなたも容易に分かるであろう。
ただ、取り扱うテーマが、現代教育ではほとんど等閑(なおざり)にされてきた分野であるから、特に若い人たちの中には読みづらさや違和感を感じる人もあるかも知れない。
しかしそれを克服して、どうか先入見をもつことなく赤子のような純真な気持ちになって、古人の真骨頂に耳を傾けて頂ければ、得るところが少なからずあると思う。
一声のほととぎすより聞きたきは
誠の道をかたる世のひと
(高橋泥舟3)
「人の道」を忘れた日本人
この世に生を受けた以上、真に楽しく充実した人生を送りたいと誰もが願っているはずである。しかし、現実には、いろんな出来事によって悩み、心の平安をかき乱され、自分には楽しい人生など到底めぐってはこないと、なかばあきらめている人が多いのではなかろうか。家庭はもとより、知識教育偏重の現在の学校でも、人としての生き方を教えてはくれない。要するに、現代日本の社会全体から、そうした視点がすでに欠落してしまっているのである。
しかし、それで心が満たされるはずはない。真の安らぎを求めて模索する人々が数多くいるのも、また事実である。また、海外の人々と接することにより、日本人としての自分の存在意義をどこに求めるべきかを苦慮する人もいるであろう。
西洋の「自我」と東洋の「無我」
これに対して欧米の人々は、自我を根本にして主観客観を立て物事を分けるという、西洋の伝統的行き方の底に潜む問題点を敏感に察知して、それを克服する道を「東洋」に求めているのであろう。この傾向は近年ますます顕著であるという。事実、私のもとにも海外から実に多くの人々が「東洋的生き方」を学びに来るが、彼らはいずれも真摯に悩み、道を求めている人達である。意識分別によって自我を立てる生き方に疲れ果て、東洋の無我・無分別の生き方に真の心の安らぎを求めているのであろう。
海外の人々がこのように熱心に東洋の伝統に目を向けているのに、本家の我々日本人が手をこまねいていては、「宝の持ち腐れ」になってしまう。
ここで、まず我々は、我々日本人の先祖には、つつましい生活をしながらも喜びに満ち足りた人生を送っていた人が多くいたという事を思い起こそうではないか。
「人の道」を学ぶ
それはつまり彼らが、聖賢などの教えを学んで「人として生きるべき道」を体得し、それに素直に随順して生きることが、名利や金などの世俗的価値よりも、はるかに気高く有意義であるばかりか、また楽しみに満ちたものであることを良くわきまえていたからである。物質的にははるかに豊かになった現代人が、皮肉にもかえって精神的には苦境にあるのは、まことに残念で気の毒なことである。
現今、大多数の人達が立身出世や物質的に豊かな生活を無意識のうちに人生の第一目標に定めてしまっているのは、そのように卓越した先人達から「人の道」を謙虚に学ぶことを忘れてしまったからである。
古人が学問の必要性を力説されたのもそのためであり、東洋でいう本来の「学問」とは、「人としての道」を学んで楽しく充実した人生を生き抜くと共に、自分のみならず他の人々をも安楽の境地にいざなうために、分に応じて自らが微力を尽くすことを指すのである。
楽しみの中で生きる
江戸時代初期のすぐれた儒者であった貝原益軒(かいばらえきけん)4は、八十歳近くになってから、自分が学び身につけた、四書五経5を初めとする「東洋の聖賢の教え」を、多くの人に知ってもらうことの必要性を痛感して、老骨にむち打って、「益軒十訓」といわれる平易な文章にまとめあげた。そのひとつ、『楽訓』の中で、彼は次のように述べている。
聖人はなにかにつけて楽の一字を説き給うた。
なぜそうされたのかを思い、楽しみの切実なことを知らねばならぬ。
(中略)
この楽しみを失わなければ、きたない心はおこらない。
だから賢愚を問わずこの楽しみを求めよう。
ただ賢者にだけ楽しみがあってよいのではない。
誰でも楽しみが内にあると、徳が身をうるおし、
心はひろく体はゆたかになる。
ちょうど富が家をうるおすようなものである。
(『貝原益軒』松田道雄訳、日本の名著、中央公論社、247頁)