「東洋的教育」( 月刊コラム【No.73】2009年6月 )
先頃、大学教授を殺害した容疑でその教え子が逮捕されたが、その手口はきわめて残忍であった。どうやら思い込みの激しい性格の学生がその後の自分の就職がうまくいかないので、進路指導をしてくれた教授をむやみに逆恨みしたものらしい。こんなことで殺されてはたまらぬと、先生方の中には動揺が広がっているという。
時おり光雲寺に訪ねてくる博士課程の大学院生との間で先日この話題が出た際に、彼は驚くべきことに、「自分のゼミではほとんどみんな精神状態が異常で、後輩の中にいかにも今回の容疑者に似た者がいます」と告白した。思わず、「そんなことではいったい何のために学問をしているのか」という言葉が口をついて出たほどである。
単に学術文献や洋書の原書を読むだけでは心の平安は得られるものではない。心を陶冶するとか修養するとかいうことがなければ、足実地を踏んだ充実を得ることは難しいであろう。奇(く)しくも最近拝読した、「明治・大正・昭和…親子で読みたい」と銘打たれた『精撰 尋常小学修身書』(八木秀次監修 小学館文庫)の読後感を「非常に有益だった」と伝えると、かの院生は「やはりそうでしたか」と応答した。
「修身」などというと、すぐに国粋主義者よばわりされかねないが、それは明らかに偏向的な戦後教育の弊害と言ってよい。小衲の弟子の一人は、「学校の先生が日本のことを悪い国だ悪い国だと繰り返すのが嫌で嫌でたまりませんでした」と述懐している。人間でも、「お前は駄目なやつだ」と言い続けられれば、「自分は駄目な人間なのだ」と自信を喪失するのは当然である。国家に関してもしかりである。中国や韓国の顔色をうかがう昨今のわが国の政治家やマスコミの自信のなさは情けないほどである。
これに対して、たとえ重度のうつ病の人でも、「あなたは決して駄目な人ではない」と自信を持たせるようなことを言えば、自分で作り出した病であるからいつのまにやら雲散霧消するという事実は、小衲がたびたび経験したところである。「日本は決して駄目な国ではない。素晴らしい国だ」と言って職を逐われた田母神前航空幕僚長(公式サイト)が矢つぎばやに刊行されている一連の著作がAmazonなどで圧倒的評価を受けているのは、これまで左翼的な教育や報道にさらされてきた人々が、わが国の現状を憂うる国防現場トップ経験者の捨て身の告発に、「目からうろこ」の感を深くしたからに他ならない。
貝原益軒は、「人の道というものは教えられなければ分かるものではない」と述べている。明治天皇の勅願により元田永孚により編纂された『幼学綱要』を全訳した経験から申せば、あのような高邁な「人の道」と偉人たちの逸話を知るならば、若者たちの人格形成に好影響を及ぼすであろうことは疑いない。道徳や修身を排除した戦後教育がどんな悲惨な結果となったかはわれわれのつとに知るところである。
前掲書の監修者の八木氏によれば、米国でもデューイなどの影響により自由放任や個性重視の教育を行なった結果、風紀の悪化や著しい学力の低下をきたしたため、レーガン大統領は就任早々に「基本に返れ」という教育改革を行ない、「古き良き教育」を取り戻すことに努めたという。
「禅の生活」ではさらにその上に、我見を放ち捨てていかなる作務をも厭(いと)うことなく心を尽くして取り組みながら、一則の公案を四六時中命がけで工夫するという尊い伝統がある。それによって、思わず知らず真空無我の境地が培われて、えもいえぬ法悦が育っていくから有り難いことである。
最近も米人老哲学者からメールが届いた。「ここ二回の摂心の坐禅中に以前ご教示頂いた、あなたがご自分の無相の自己にまみえるまで、いかなることにも断じてとらわれてはなりませぬ、というお言葉を味わい尽くして感激しております」という法悦に溢れたメールの内容である。「彼に悦峰(The Peak Of Joy)という居士号を与えたのはまことに正解であったな」と弟子たちに話しかけた次第である。
どうか一人でも多くの人たちが「東洋的教育」の、ひいては「禅的教育」の醍醐味に触れて充実した日々を送って頂きたいものである。
(なお最後に、「大切なお知らせ」でご報告しましたような事情から長い間ホームページを中断せざるを得ませんでしたことを、皆様方に深くお詫び申し上げます。)
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