「女性と禅」( 月刊コラム【No.74】2009年7月 )

東京藝大美術館で行われていた「尼門跡寺院の世界ー皇女たちの信仰と御所文化」展が盛況裡に終了した。小衲が訪れた最後の週になってからは特にご婦人方が大挙して来られ、主催者側も、「あと2週間展示期間が延長できれば嬉しいのですが・・・」などと喜んでおられた。

皇族方も天皇皇后両陛下を初めとして多くの方々がお見えになったが、特に皇后様は、「宮内庁にはすでに伝わっていないものが、門跡寺院には伝わっていて、なるほどこういうことでしたかと分かったことがあります」と感想を述べておられたということである。

この光雲寺からも、門跡寺院の有力な外護者であられた東福門院の木造お像と肖像画を是非とも出展させて頂きたいという依頼があり、14歳で江戸から京都の朝廷に入内された東福門院をせめてお像なりとも切望されていたお国帰りをさせて差し上げたいと念願して出展を快諾したことは、すでに以前申し上げた通りである。

幸い多くの方々からのご喜捨と財団からの補助により、木造東福門院お像もきれいに修復されて歴代徳川家の墓所のある上野の寛永寺に至近距離の美術館で展示されることとなったのは、まことに奇しき因縁を感じる。これも公武和合に腐心された東福門院様のお徳の故であろう。皆様方のご支援に深く感謝申し上げる次第である。

それにしても、今回の展示に際して蔭ながら漢文の語録の読みなどのお手伝いさせて頂いた経験から、門跡方の中に道心堅固で力量のある人がおられたということを知り得ることができた。たとえば、天龍寺開山・夢窓国師の『夢中問答』の相手である足利直義(尊氏の弟)の妻女であった、京都西山の本光院開山無説尼のごときは、夫の直義が尊氏に暗殺されたためであろうか、発心して夢窓国師のもとで(生れてきて死んで行くこの自分は一体何ものかという人生の一大事)を解決せんがために、馬祖大師ゆかりの「即心即仏」の公案に必死になって取り組んだようである。 

夢窓国師の法嗣の普明国師は無説尼のことを、「晩年になって深く浮世の空しさを嘆いて、自ら髪を断って出家した。禅門に入ってからというものは、苦楽や順境逆境に遭遇してもいささかも心を動じて念を起こすことなく、その道心は禅の修行に習熟したと自称する久参底の禅僧に比べても、何らの遜色がなかった。」と称賛しておられる。

また光照院中興で後西天皇の皇女であった大規尼は、わが光雲寺の中興の英中玄賢禅師の法嗣で相国寺の別宗祖縁禅師の指導のもと痛快に見性されたが、その力量のほどはその「下語(あぎょ)」(禅的ヤジ)を見ればよく分かる。

先日の月例坐禅会へも女性お二人が新規に見えられたが、どうも男性よりも女性の方が熱心のように見受けられる。そのことはまた女性の方がより心の安らぎを求めておられるということかも知れない。お二人は坐禅が終わった後の小衲との対話が済んで、輝くような笑みをたたえて帰っていかれた。

禅に参ずると確かに心境がよくなり、悩みが解消するということがある。一人でも多くの方々が禅に参じてその法悦を知って頂きたいものである。


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