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1、玄賓僧都(げんびんそうず)
最初に採り上げるのは、鴨長明の『発心集』の冒頭に載せられている玄賓僧都である。千二百年のその昔、名利を離れてひたすら仏道に精進された僧都の気高い行履(あんり)は、同時代の人に鑽仰(さんぎょう)されたばかりか、後世の宗教者の模範となってきた。
2、三人の遁世者達(平等・千観・増賀)
玄賓僧都に続いて『発心集』に載せられているこの三人の遁世者達も、またいずれも名利の俗心を離れたその高潔な行跡の故に、後世の人達に崇められた名僧である。現代には地位や名誉のある所謂(いわゆる)「高僧」はいても、このような名利を超脱した真の名僧がいないのは、誠に惜しいことである。
3、雲門文偃禅師(うんもんぶんえんぜんじ)
雲門文偃(うんもんぶんえん)禅師は中国禅界の巨匠と言われる。禅師は若くして出家し、刻苦精励して大悟されたが、更に境涯の円熟を期して幾多の名僧に歴参された。「雲門天子」と称された高邁な宗風をもつ雲門宗の開祖であり、その「日々是好日」の句は一般にも良く知られている。
4、盤珪永琢禅師(ばんけいようたくぜんじ)
江戸時代初頭に活躍された臨済宗の名僧、盤珪永琢(ばんけいようたく)禅師(元和八年ー元禄六年、1622−1693)は、自らの修行遍歴の体験から、公案工夫をこととする臨済禅の基本的行き方に対して、「不生の仏心」を説く独自の「不生禅」を創始された。今回は、この稀有の名僧の格調高き教えと伝記とをご紹介したい。
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