1、論語の言葉
二千年以上にもわたって東洋の精神的支柱となってきた『論語』には、 孔子の次のような言葉がある。
子の曰く、疏食(そし)をくらい水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす
楽しみまたその中に在り
不義にして富みかつ貴きは、我において浮雲の如し
粗末な飯を食べて水を飲み、うでを曲げてそれを枕にする。
楽しみはやはりそこにも自然にあるものだ。
道ならぬことで金持ちになり身分が高くなるのは、
私にとっては浮雲のように、はかなく無縁なことだ。
(『論語』岩波文庫・金谷治訳 述而第七 96頁)
また、『論語』の別の箇所には、孔子が愛弟子の顔回について述べられた次の有名な言葉がある。
子の曰く、賢なるかな回や
一箪の食、一瓢の飲、陋巷(ろうこう)に在り
人はその憂いに堪えず、回やその楽しみを改めず
賢なるかな回や
先生がいわれた。
『偉いものだね、回は。
竹のわりご一杯の飯とひさごのお椀一杯の飲みもので、狭い路地の暮らしだ。
他人ならその辛さに堪えられないだろうが、
回は(そうした貧窮の中でも)自分の楽しみを改めようとはしない。
偉いものだね、回は』
(同上 雍也第六 81頁)
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2、「真の楽しみ」とは
中国宋代の卓越した儒者である程明道(ていめいどう)・程伊川(ていいせん)の兄弟が周濂渓(しゅうれんけい)に学んでいた時、「孔子と顔回が楽しみとしていたところは何であったか」といつも師に尋ねられたという(『伊洛淵源録』濂渓先生遺事)。
これに関して、のちに朱子は、「孔子と顔回は貧乏そのものを楽しんでいたのでないことは言うまでもない」と付け加えている。
むしろ、孔子や顔回は、常に楽しみの只中に生きていたからこそ、他人には辛く思えるような貧窮生活も何ら苦にはならなかったのであろう。このような「道の楽しみ」は、世上の快楽とは異なり、自分の心を豊かにしてくれる。
貝原益軒も、
君子は道にしたがうことを楽しみ、小人は欲にしたがうことを楽しむ。
道をもって欲を制すれば楽しんで乱れず、欲をもって道を忘れれば乱れて楽しまず。
という『礼記』の言葉を引いて、
だから小人の楽しみは真の楽しみではない。果ては必ず苦しみとなる。
(『貝原益軒』「楽訓」、松田道雄訳、日本の名著、中央公論社、249頁)
と教えている。
世間的には不遇の人生を送られた孔子は、楚の国の長官に孔子の人となり(風格)を問われて答えることが出来なかった弟子の子路に対して、次のように言い切られている。
お前はどうして言わなかったのか。
私の人となりは、発奮しては食事も忘れ、(道を)楽しんでは憂いも忘れ、
やがて老いがやって来ることにも気づかずにいるというように。
(『論語』述而第七、97頁)。
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程明道・程伊川: 程明道(1032−1085)・程伊川(1033−1107)。北宋の大儒。洛陽の人。この兄弟を「二程子」と尊称する。
朱子(1130−1200): 南宋の大儒。宋学の大成者。その学を「朱子学」といい、江戸時代の儒学に多大の影響を与えた。
3、はからいなき自然体の人
弟子達にその志望を尋ねたあとで、孔子は自分の志望を披歴されて、
老人には安心されるように
友人には信じられるように
若者には慕われるようになることだ
(同上、公冶長第五、74頁)
と淡々と述べられている。
孔子聖人のこの泰然自若(たいぜんじじゃく)とした答えぶりこそ、人生を心から充実して送れる至楽の境涯であると言えるであろう。
このような「楽しみに満たされた生き方」(楽道)は、
意なく
必なく
固なく
我なし
勝手な心を持たず
無理押しをせず
執着をせず
我を張らない
(同上、子罕第九、117頁)
と称せられる孔子の融通無礙(ゆうずうむげ)な心の発露に他ならない。
孔子はそのように「無我の人」であったからこそ、同時に謙譲をその風格とする「至誠の人」であったと言えるであろう。
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