1、心の中の大道
これまで、孔子を始めとして鉄舟・梅岩・宗忠という卓越した人物達の無我・至誠の境涯をご紹介して来た。その際、儒教・仏教・神道などの教えに言及したが、それでは、そのいずれを学ベば良いのであろうか。
もとより、いずれの道からも無我の境涯に達することができることは、すでに見てきた通りである。しかしまた、ひとつの道に拘泥すれば、他を軽視・排斥するという偏見に陥りがちである。古来、儒者の仏教嫌いや「禅天魔」と称されるものはそれに当たる。
これに関しては、儒教から禅の道に入られた今北洪川老師が、その名著『禅海一瀾』で述べられているように、儒・仏・神といっても結局は「ただひとつの根源の大道」を説いているのであるから、この大道をこそ学ぶべきである。われわれが「無我・至誠」と特色付けたのも、この大道のことに他ならない。
洪川老師は言う、「大道は自らの心に求めよ、自己以外の所に向かって求めてはならぬ。自己自身の心の本源よりほとばしり出る働きこそが、そのまま大道なのである。道を学ぶのに、儒教、仏教といった差別を差し挟(はさ)んではならぬ。・・・(中略)・・・故に道に志してこの書物を読む者は、儒教の言葉にこだわらず、仏教の言葉に縛られず、各自に、ひたすら自己心中の大道を目指してもらいたい」(『禅海一瀾』盛永宗興訳、17頁)と。
更には、百六十歳まで長生きされたと伝えられる沢水(たくすい)禅師も、次のように言われている。
「仏法というのは人々の一心の名である。一心の名であるということを知らないで、自分は出家ではないから仏法など信じ難いと言ったり、そしり憎んだりすれば、それは取りも直さず自分の一心を嫌い憎むことになるのである。これは大層愚かなことではないか。
もし儒者の身でありながら仏法をそしるならば、それは儒道の極意をいまだ知らない人である。神道の人が仏法をそしるならば、それは神道の極意をいまだ味わったことのない人である。仏法者でありながら儒道や神道をそしるならば、それは仏法を夢にも知らない仏法者である。仏門中で相対立して宗論を争わせることは、語るに足らぬまことに恥ずべきことである。
そのゆえに、仏法は武道の極、歌道の根本である。その他の諸道百芸も、その究極的核心に到っては、すべて一心に帰着するのである。」
(『沢水法語』、拙訳参照)
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禅天魔: 日蓮が禅を非難した言葉。それが後世、禅のみ貴しとして他宗を軽視し、われひとり貴しとして他者を見下し、傲慢になりがちな禅者の態度をいうのに使われた。これは「法執」あるいは「仏見・法見」といわれる。それを払うためには、「得ては捨て、得ては捨て」して、どこどこまでも向上の一路を邁進しなければならぬ。
沢水長茂(たくすいちょうも)禅師: 越後新潟出身で江戸時代初期の禅僧。十二歳の時、友の死によって求道心を起し、抜隊(ばっすい)禅師の法語を導きとして仏法修行に励み、大悟徹底した。のち越後の亀庵禅師の法を嗣ぎ、江戸に大住庵という小庵を構えて大いに僧俗を教化した。(元文五年、1740)世寿百六十歳余りにして病なくして遷化(せんげ)した。弟子が編纂した『沢水法語』が伝えられている。
(『沢水法語』拙訳はPDFでダウンロードできます)
2、真実の自己の体究としての禅
もとより、神道の人は、神道こそが根源的教えであり、念仏の人は、念仏こそが根源的教えであると主張するでもあろう。現に、先に触れた唯一神道の創唱者の吉田兼倶(かねとも)は、神道こそが根源であると主張した。それでもよい。別に仏教や禅に固執するつもりは毛頭ない。
要するに、儒教といい、神道といい、仏教といい、「根本の一心」ないしは「真実の自己」とはいかなるものかを、各自の根本経験から説いているのである。
しかしながら、特に禅は「己事究明」を主眼としてこの問題にひたすら取り組むものであるから、それらの教えが「禅」に帰着するというのも、あながち
牽強付会(けんきょうふかい)ではあるまい。
そこで、これから「無我の根本経験」を得るひとつの典型的道として、「臨済禅の公案工夫」について語ることにしよう。
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己事究明: 「真の自己とは何か」を全身全霊で究明して行く禅の行き方をいう。
牽強付会: 道理に合わないことを、自分の都合の良いようにこじつけること。
臨済禅: 中国唐代の臨済義玄禅師(?ー866)を宗祖とする臨済宗の修行振りや宗旨のこと。曹洞宗の「只管打坐(しかんたざ)」対して、「公案工夫」を主眼とする。
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