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推奨したい書物 |
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心の糧となる名著: 私達の若い頃を思い出してみてもそうなのであるが、本当に心の糧(かて)となり、人間としての生き方や智慧を学べるような名著とは何かを、誰も教えてくれなかった無念な思いが残っている。
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1、『論語』 「最上至極宇宙第一の書」(伊藤仁斎)と呼ばれた、東洋随一の古典である。孔子の言行をその弟子達がまとめたもので、この書物を心のささえにして幾多の偉人が輩出した。人生経験を経れば経るほど、有難くなる書物である。
2、『大学』 「初学者が徳を身につけるための門戸」(程子)として著された書であり、人の道を学ぶという東洋的学問の真髄を知ろうとする人にとっては、まさに必読の書である。かの二宮金次郎(尊徳)が薪をかつぎながら読んでいたのも、他ならぬこの書である。学術文庫版は解説が懇切である。
3、『中庸』 孔子の孫の子思により著されたと言われ、「聖人が伝授された心の根本に関する教え」(程子)である。天の本性である誠こそは、人の本来の性であるから、つとめて誠を行じ、聖人を模範として修養を積むべきであると説く。儒教の真髄を披歴した、深遠にして醍醐味あふれる書である。これも学術文庫版が良い。
4、『孟子(上・下)』 (小林勝人訳註、岩波文庫) 孔子から遅れて世に出ること数百年、乱世の中国に生きて「聖人君子の道」を説き、無益な争いの愚かさを天下に訴えた、亜聖孟子の言行録。その教えは、世界的乱世の現代において、ますます省みられるべきである。
5、『小学』 (新釈漢文大系、明治書院) 明治書院のこのシリーズには、前記の「四書」を初め、「五経」(『書経』『詩経』『春秋』『礼記』『易経』)も入っている。中でも、朱子が友人と共に編纂した『小学』は、君子(立派な人)になるための具体的な修養について述べたものであり、年少者向けであるとはいえ、一生にわたって生き方の指針となる好著である。
6、『貝原益軒』 (松田道雄訳、日本の名著14、中央公論社) 上記の経典をすべて読みこなすのは難しいという人もあろう。そういう人には、益軒の著作(『大和俗訓』『和俗童子訓』『楽訓』『家道訓』『養生訓』『大疑録』)のこの名訳をお勧めしたい。経典の肝心かなめのところ(人の道)が、レベルを落とすことなく平易に説かれている。この一書だけでも熟読して我が物にすれば、充実した人生が送れるであろう。
7、『幼学綱要』(元田永孚編、宮内省蔵板) これは明治天皇が、明治初頭の西欧化によって我が国古来の精神的徳育がすたれてしまうのを憂えられ、侍講の元田永孚に命じて編纂させられた最初の修身教科書である。「修身」などというと、戦前の軍国主義を連想する人もいるであろうが、我が身を修めるのは、人生の基本である。
8、『伝習録』 (吉田公平訳註、タチバナ教養文庫) 孟子以来屈指の大儒である、中国明代の王陽明の語録。その大悟の体験から、「知行合一」や「致良知」などを中核とした「陽明学」を唱え、我が国にも多大な影響を与えた。体験的基盤のある言説は、通常の文字面だけの経典解釈をはるかに超出した深みを持っている。
9、『六祖壇経』 (中川孝訳註、タチバナ教養文庫) 達磨大師から六代目の禅宗の祖師で、天才的禅者であった大鑑慧能禅師の語録である。
10、『臨済録』 (朝比奈宗源訳註、タチバナ教養文庫) 機鋒峻烈をもって知られ、馬上三軍を叱咤する風格から、古来「臨済将軍」と称される、臨済宗の宗祖で唐代の名僧、臨済義玄禅師の語録である。刻苦して大悟された境地から唱え出されたその言説は、「無位の真人」、「殺仏殺祖」など、言々句々これ珠玉を成している。
11、『近世畸人伝・続近世畸人伝』 (東洋文庫、平凡社) この書は、正編が、伴蒿蹊(ばんこうけい)によって寛政二年(1790)に刊行され、続編が、正編の挿し絵画者であった三熊花顛(みくまかてん)と伴蒿蹊によりその八年後に刊行されたもので、「畸人伝」とは銘打つものの、通常の「奇人変人伝」ではなく、江戸時代の人々の特異な生きざまが見て取れる好著としてすでに定評がある。東洋文庫版は原文のみであるが、読み易い文章で書かれている。
12、『想古録(1・2)』 (東洋文庫、平凡社) 「近世人物逸話集」という副題のあるこの書は、東京日日新聞に明治の中頃に掲載された、天保年間(1830−1843)前後の284人にものぼる知名人達の逸話集とも言うべきものである。筆録者は山田三川と推測されるが、同時代人の証言をもって知名人達を語らしめたその手際は、説得力がある。文章も簡にして要を得ており、先人を知る上で興味尽きぬ読み物である。
13、『鳩翁道話』 (東洋文庫、平凡社) 石田梅岩の心学の流れを汲む柴田鳩翁が、天保六年(1835)に公刊した、いわゆる「心学道話」と称されるものの一つである。「聖人の道」や「我なし(無我)」の境地を一般の人々にも分かり易く説いた彼の道話は、もと講談師であったという経歴の故もあって、類書の中でも出色のものである。原文は話し言葉で書かれており、具体例も多く引かれ、非常に読み易い。梅岩の心学が全国を席捲したのも当然のことである。
14、『石田梅岩』 (加藤周一訳、日本の名著18、中央公論社) 『都鄙問答』『斉家論』など、梅岩の主要著作が訳されている。主著の『都鄙問答』は、原文のみであるが、岩波文庫にも入っている。この書は、梅岩が主立った弟子達と協議を重ねた上の著述であり、石門心学の核心を知るためには必読書である。
15、『披沙揀金』 (全国東照宮連合会編) この書名は、「砂の中から金を選別する」という意味で、副題に「家康公逸話集」とあるように、「東照神君」と崇敬された徳川家康公の言行を家臣達が記録したものの集大成である。別にまた、『東照宮御遺訓』とも称される『松永道斎聞書』(久能山東照宮社務所)なる記録もある(写本は京大図書館にある)。
16、『武士道』 (山岡鉄舟述、勝海舟評論、大東出版社) 鉄舟に関しては、彼自身の貴重な文章を収載した『鉄舟随感録』(国書刊行会)をホームページで推奨したが、この書も、胃ガンを患った鉄舟が、「日本人の真の生き方」について大悟徹底した境地から赤心の限りを吐露した、警世憂国の書である。
17、『西郷南洲遺訓』 (岩波文庫) この書は山形庄内藩の武士達数十人が、はるばる九州薩摩の南洲(隆盛)のもとに尋ねて教えを乞い、その際の南洲の言葉を集めて印行したものである。この書を読めば、聖賢の教えによって錬磨された南洲の人格の偉大さが分かるであろう。まさに必読の書といって良い。南洲に関しては、『南洲百話』(山田準著、明徳出版社)が好著である。
18、『禅海一瀾』 (盛永宗興訳、柏樹社) この書は後に鎌倉円覚寺の管長となった今北洪川老師が、文久三年(1862)に著したものである。すでに儒者として一家を成していた老師は、当時の儒学に飽き足らずに出家して禅の修行をし、その到達した向上の境地から、儒教の経典の中から三十則を選び、「孔子の教えの中に禅があり、禅の中に儒教の至極の真理がある」ことを明らかにして、「聖人の真意を復活させる」という意図で、この書を著したのである。
19、『妙好人、因幡の源左』 (柳宗悦・衣笠一省編、百華苑刊) 浄土真宗の妙好人である因幡(いなば、鳥取県東部)の源左(天保十三年ー昭和五年、1842−1930)の言行録である。これは真宗の特色であり、また民衆に根づいた底力であろうが、無学で名も無い田舎住まいの身でありながら、堅固な信心を頂いた在家の念仏者のことを、「泥中に咲いた白蓮華」の意味で「妙好人」と呼ぶ。その中には、赤尾の道宗、お園、讃岐の庄松、浅原才市の様な人達がいるが、源左は利他行に励んだ点で特異な存在である。
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