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無我と至誠

「誠」とか「誠実」や、その極致の「至誠」は、我々日本人の精神の中核を形成してきたものである。それゆえ、さきの大戦までは、日本は「東方の君子国」(山岡鉄舟)として他国から畏敬されてきた側面があった。


     
      1、日本人の理想・「至誠の人」
2、『中庸』と『孟子』の意義
3、『中庸』と『孟子』に見る「至誠」論
4、西郷南洲の訓戒
5、「至誠」と「無我の境地」

6、達道の人、山岡鉄舟

   


         

1、日本人の理想・「至誠の人」

日本人は古来、「至誠の人」を理想的人格として尊んできた。

例えば、禅を世界に広めた鈴木大拙は、尊敬する師の今北洪川(鎌倉円覚寺管長)や、無二の親友であった哲学者の西田幾多郎を、共に「至誠の人」という言葉で特色付けている。

また、明治の元勲達から是非にと依頼されて若き明治天皇の君徳教導役となった元田永孚(もとだながざね)の風格を、彼の講義を聞いて痛く感激した有為の学生の一人は、「純忠至誠の大儒」と感嘆した(安場末喜〔すえのぶ〕「純忠至誠の大儒元田永孚先生」雑誌「キング」昭和二年五月号所載)。

さらに、教育界の重鎮であり京都帝大学長でもあった小西重直(しげなお)は、幕末の儒者広瀬淡窓に関する「自序」において、

至誠真実は一切の文化の創造と発展とに必要なる根源の精神力である。・・・(中略)・・・日本の古賢先哲にしてこの精神力を発揮せざるものはないが、私はその中においても淡窓先生の至誠真実の精神力には、敬服せざるを得ないのである。
(『広瀬淡窓』日本先哲叢書第十巻)

と述べている。

このように「誠」とか「誠実」や、その極致の「至誠」は、我々日本人の精神の中核を形成してきたものである。それゆえ、さきの大戦までは、日本は「東方の君子国」(山岡鉄舟)として他国から畏敬されてきた側面があった。


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鈴木大拙(明治三年ー昭和四十一年、1870−1966): 禅を修行して得た悟りの眼(まなこ)で、全世界に禅や浄土教を紹介した。英文の著作も多い。文化勲章受章者。
元田永孚(文政一年ー明治二十四年、1818−1891): 肥後熊本藩士で儒者。横井小楠に師事し、のち宮内省に出仕。明治天皇の命により『幼学綱要』を編纂。
広瀬淡窓(天明二年ー安政三年、1782−1856): 江戸後期の儒者。徳行をもって鳴る。大分の日田で私塾咸宜園(かんぎえん)を開き、門下三千人の中から多方面に人材を輩出した。

2、『中庸』と『孟子』の意義

孔子自身は、慈愛と真心の徳である「仁」を最高の徳目として説き、「至誠」や「誠」などということをあからさまに言ってはいない。だが、「夫子は温良恭謙譲(おだやかで、すなおで、うやうやしくて、つつましくて、ひかえめであられる)」(『論語』、学而第一、22頁)と讚えられた孔子の人格は、まさしく「至誠の人」(聖人)の典型であったと言えるのではないか。

孔子の孫の子思(しし)は、孔子の道統をひとり真に受け継いだ曾子(そうし)に久しく学んで、実地に工夫して孔門の奥義を極めた末に、孔子亡きあと時代が経ち、次第に儒教の本旨が失われゆくのを憂えて、遂に儒教の核心を『中庸』に著した。

そこには、専ら徳性を明らかにするという実践に終始した孔子が表立っては語らなかった、儒教の深遠な教理が述べられている。

まことに『中庸』一篇の書は、程子の言うように、「孔門伝授の心法」(聖人が門人に伝授された心に関する根本の教え)であり、人生の極意が随所に述べられており、その一句でも肝に銘じて実践すれば、人生を生きる上で大いに意義深いことは疑い得ない。

それゆえ、卓越した儒者であった元田永孚も、四書五経の中で「天と人との大道」を知るためにまず最初に読むべき書物として、『中庸』を挙げている(『為学之要』)。「中庸」とは偏らない過不足の無い徳のことであるが、その極意が「誠」ということであるから、『中庸』の核心は「誠」についての論究である。

また、子思の門人に学んだといわれる孟子は、武力による争いの愚かさと、仁政に基づく「王道」の政治の必要性とを力説した。
その言行録である『孟子』は、彼の「浩然の気」からわき出た気魄(きはく)と、聖人の道を踏み行なう人のみがもつ確信に溢れている。まことに、「亜聖」(聖人に次ぐ人物)といわれるはずである。

この『孟子』にも、「至誠」や「誠」に関する言葉が散見される。
ここでは私見を差し挟むことなく、これらの経典の言葉を引用してみよう。

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3、『中庸』と『孟子』

『中庸』(以下、講談社学術文庫版より引用)

「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり。」(137頁)
天道は誠、すなわち真実にして偽りがない。春夏秋冬の変遷、万物の成育、日月星辰の運行など、天地の森羅万象はすべて誠を行じている。しかし、人は生まれつき誠をもって我が本性としているにもかかわらず、我が身のさまざまな欲に曇らされて、生まれつきの純な誠を保つことが出来ない。それゆえ、人は勉めて本来の誠の道を求める必要がある。

「ただ天下の至誠、よく化することを為す。」(146頁)
ただ至誠ある人だけが真に世の中に感化を及ぼすのである。

「誠は物の終始なり。誠ならざれば物なし。」(151頁)
誠は一切の始まりであり、終わりである。誠がなければ物はない。

「至誠息(や)むなし。」(154頁)
至誠は休息することがなく、その働きたるや、間断なく、しかも永遠不変である。
 
『孟子』(以下、岩波文庫版より引用)

「身にかえりみて誠ならざれば親に悦ばれず。身に誠なるに道あり、善に明らかならざればその身に誠ならず。この故に誠は天の道なり、誠を思うは人の道なり。至誠にして動かされざる者は未だこれあらざるなり。誠ならずして未だよく動かす者はあらざるなり。」(下、33頁)
我が身に反省して誠意・真心がこもっていないようでは、親には悦んでもらえない。我が身をいつわりなく誠にするには、やはり方法がある。それは是非善悪を明らかにわきまえなければ、到底我が身を誠にすることは出来ない。このように誠こそは〔人の天性から出るものゆえ〕天の道であり、万事の根本である。この誠を十分に発揮しようと思って努めるのが、つまり人間の道なのである。およそ至誠〔まごころ〕を尽くして天下に感動させることの出来ないものはないし、また、至誠でなくうそいつわりで人をよく感動させることの出来るものは決してないのである。

これら聖賢の金言は、それ自身ことごとく「至誠」の丹心から発されたものであるから、世の通常の教えとは異なり、何と気高いことであろうか。幼い頃からこうした高邁な教えに接して自分の生き方を反省し改善していれば、我々の人生もきっと年を重ねるに従ってますます楽しく充実したものになるに相違ない。

 先に述べた貝原益軒も、「聖賢の書を読んで、その心を得て楽しむのは楽しみの極致である」(前掲書、268頁)と述べて、聖賢の教えから学ぶことがいかに楽しく大切であるかを力説している。

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4、西郷南洲の訓戒

かの西郷南洲(隆盛)も言っている、

「聖賢になろうとする志なく、古人の事跡を見て、自分にはとても及ばぬというような心では、戦(いくさ)に直面して逃亡するより、なお卑怯である。朱子も、白刃をみて逃げる者はどうしようもないと言われた。誠意をもって聖賢の書を読み、その処置された心を我が身に体得し我が心に体認する修行をせず、ただ聖賢の言動を知っただけでは、何の役にも立たぬ。・・・(中略)・・・聖賢の書を空しく読むだけならば、それはちょうど、他人が剣術の稽古をするのを傍観しているのと同じことで、少しも自分で会得出来るものではない。自分に身に付いていなければ、万一立ち合えと言われた場合、逃げるより他に致し方あるまい」
(『西郷南洲遺訓』岩波文庫、17頁)
 
 その南洲はまた、「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、おのれを尽くして人を咎めず、我が誠の足りないことを反省せよ」(いわゆる「敬天愛人」)とか、「天下に後世までも信服されるのは、ただ真誠だけである」とも言っている。南洲の至誠心もまた聖賢の書を読み、それを行ずることによって培われたことが分かるのである。

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5、「至誠」と「無我の境地」

さて、「至誠の人」はまた「無我の人」である。

陽明学の開祖であり、孟子以来の大儒と目される王陽明は、その主著『伝習録』の中で、「人の心はもともと天が然らしめた理法であるから、精一明澄で、微塵も作為や分別の介入する余地のない、無我そのものなのである。心中に断じて我があってはいけない。我があると傲慢となる。古代の聖人達の卓越したところは、何といっても無我であったからこそなのである。無我であれば、おのずから謙譲になる。謙譲こそは一切の善の根本であり、傲慢こそは一切の悪の最たるものである」と述べている(王陽明全集第一巻、370頁、明徳出版社刊、吉田公平訳『伝習録』タチバナ教養文庫、389頁)。
(原文書き下し)「人心はもとこれ天然の理にして、精精明明、繊介の染着無し、只これ一の無我のみ。胸中切に有るべからず。有れば即ち傲なり。古先の聖人の許多の好き処は、また只これ無我のみ。無我なれば自ずからよく謙なり。謙は衆善の基にして、傲は衆悪の魁(かい)なり。」

このように、「無我」は通常は仏教の根本的特色のように考えられているが、仏教のみならず儒教や神道においても、根源の境地である。真に無我を体得した人でなければ、至誠心を発揮することは出来まい

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王陽明(1472−1528)・・・中国明代の武人にして大儒。「到良知」の説を核心とした彼の陽明学は、大塩中斎(平八郎)、西郷南洲を初めとして、日本にも多大の影響を与えた。


6、達道の人、山岡鉄舟

「無我と至誠」について経典から引用することはこれくらいにしておいて、今度は、それを体現した類い稀なる人物として、近世における達道の人、山岡鉄舟を取り上げることにする。これは何も鉄舟個人の事歴を述べようとするものではなく、「無我と至誠」が具体的に如何なるものかを、鉄舟の場合から汲み取って頂きたいがためである。

もとより、古今の聖賢や達道の人で、「無我と至誠」を体現していない人はないであろう。しかし、山岡鉄舟に関しては、名僧の南隠老師(東京、白山道場)が、「昔より支那でも日本でも至誠の人は滅多に無いものだが、居士〔鉄舟〕は真にその人であった」と証言しており、また道友の勝海舟も、「山岡は明鏡の如く一点の私〔私心〕をもたなかったよ。だから物事に当り即決していささかも誤らない」と評しているのである(小倉鉄樹『おれの師匠』新版、島津書房、222頁)。

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