「彼岸に到る」2015年10月【No.148】

拙寺の光雲寺は秋の紅葉で有名な永観堂の近くにあります。永観堂は南禅寺より古くからある浄土宗の寺院で、本来の名は禅林寺というお寺ですが、南禅寺本山への行き帰りや朝夕の柴犬を連れての散歩の際に、その前を横切ることが良くありま […]

「真心再論」2015年9月【No.147】

先月のコラムには「真心を育てる」と題して、TBSテレビの『天皇の料理番』という番組を取り上げ、主人公の秋山徳蔵氏の言葉を引用しながら、真心をもって行うことの重要性をお話し申し上げましたが、よくよく考えてみまするに、「真心 […]

「真心を育てる」2015年8月【No.146】

TBSテレビ60周年特別企画として『日曜劇場 天皇の料理番』という番組が7月上旬に大好評の中に全12回の放送を終えました。回を追うごとに評判と視聴率が上がっていったドラマですので、ご覧になった方も多くおられることでしょう […]

「禅との出会い・坐禅の動機」2015年7月【No.145】

光雲寺は臨済宗南禅寺派に属する大本山南禅寺境外塔頭で、「北ノ坊町」と称されるところに位置しておりますが、「南禅寺禅センター」の看板を掲げての坐禅研修では、修学旅行の生徒さんたちを初めとして、一般成人の方、諸外国の方など、 […]

「法縁・仏縁」2015年6月【No.144】

四月号のコラムで、南禅寺と妙心寺の両方の管長を経験された近代の名僧、高源室・毒湛匝三老師(天保十一年ー大正六年、1840ー1917)の一百遠年諱のことに触れましたが、去る五月二十二日に、南陽院での落慶法要に引き続いて南禅 […]

「更に参ぜよ三十年」2015年5月【No.143】

大本山南禅寺第二世住持の「南院国師(規庵祖円禅師)」(弘長元年—正和二年、1261−1313)は、南禅寺では「創建開山」と言われるほど、その功績を称揚されているお方です。十歳以前から禅修行の道に入られ、無学祖元(仏光国師 […]

「南針軒・河野霧海老師」2015年4月【No.142】

南針軒・河野霧海老師(元治元年—昭和十年、1863−1935)は伊深の正眼寺の泰龍老師と虎渓山の潭海老師に参じたのち、愚堂国師の再来と言われた高原室・毒湛老師に嗣法して、南禅寺の管長や僧堂師家を歴任され、「古尊宿の風あり […]

「全人的医療と禅」2015年3月【No.141】

「中外日報」という宗教新聞があります。仏教各派だけではなく、神道や新興宗教についても、色んな情報を載せている新聞で、同じ宗門内の事情もここから初めて知ることがよくあります。 この新聞に、全人的なホリステイック医療を実践し […]

「典座の醍醐味」2015年2月【No.140】

「典座(てんぞ)」というのは禅寺の食事を司る重要な役職の一つです。しかし世間では一般に食事係は低く見られがちです。 西洋においても、かの大哲学者のイマヌエル・カント(1724−1804)がご婦人方を前にして女性の台所を司 […]

「作務の法悦」2015年1月【No.139】

新年明けましておめでとうございます。本年が皆様方にとりまして良いお年であることを心からご祈念申し上げます。 この光雲寺では昨年11月21日から12月7日までの18日間、京都市観光協会の協賛により4年ぶりの特別拝観を行いま […]

「公案工夫の妙味」2014年12月【No.138】

先月のコラムに、最近の雲衲の道心低下の克服について、道心を養うこと、法理会得の必要性、公案工夫の実践について言及させて頂いた。公案工夫に関しては、高峰原妙禅師のような勇猛心を奮い立たすことができれば申し分はないのであるが […]

「禅の公案工夫」2014年11月【No.137】

近頃は在家から発心して出家するものも少なくなり、大方の臨済宗の専門道場も雲衲の数が減っていると聴く。その中で堅固な道心をもって目の色を変えて真剣に日夜工夫三昧に邁進する者は、まことに稀であろう。雲衲の師匠の中には、「弟子 […]

「老僧が接木」2014年10月【No.136】

『駿台雑話』という書名を年配の方ならご存知ではないだろうか。小衲も学生時代に、この書が儒者である室鳩巣(万治元年ー享保十九年、1658−1734)によってものされた、江戸時代を通じて屈指の随筆であり、教訓書であることを学 […]

「随処に楽しむ」2014年9月【No.135】

先般ご招待を受けて或る書家の方の回顧展に伺った。心が洗われるような闊達自在ですばらしい書で非常に感銘を受けたが、その中で「揮毫忘我」と「随處楽」という二句が心に残った。読みは「毫(ふで)を揮(ふる)うに我を忘ず」「随処に […]

「古人越格底の禅修行」2014年8月【No.134】

二十五年以上も禅修行に邁進している旧参の居士の人と最近話していて、相国寺の独園老師が編纂された『近世禅林僧宝伝』中の越格底(おっかくてい、ずば抜けたの意)の古人の修行ぶりに言及したことがある。この書は返り点がついているも […]

「苦徹、珠を成す」2014年7月【No.133】

中山博道氏(明治五年ー昭和三十三年、1872−1958)といえば、大日本武徳会から史上初めて剣道・居合術・杖術の三道で範士号を授与された武道家で、その道ではまさに神様のような人であり、昭和初期の剣道界において髙野佐三郎と […]

「率先垂範」2014年6月【No.132】

先日の月例坐禅会に初めて出席された男性は或る有名な鉄道会社に勤務していて、これまで何カ所かで坐禅会にも参加され、また合気道の心得もあるということであった。「これほど本格的な坐禅会は初めてで驚きました」という感想を頂いたの […]

「われ以外みなわが師なり」2014年5月【No.131】

「切磋琢磨」という言葉がある。朋友が互いに励まし合って向上するの意味に用いられるのが通常であるが、元来は中国の四書五経の一つである『詩経』衛風・淇奥(きいく)篇の「瞻彼淇奥、緑・竹猗猗、有匪君子、如切如磋、如琢如磨、瑟兮 […]

「温故知新」2014年4月【No.130】

先月のコラムで「温故知新」の必要性に言及したが、その後、かく申すわが身がまだまだ「温故知新」の足りないことを痛感する体験に出くわしたことを、何かのご参考になればと思い、お話し申し上げたい。 まず最初は、東京在住の或る知り […]

「心の修養ということ」2014年3月【No.129】

先般のソチオリンピックでは日本人選手もなかなか頑張って、冬期オリンピック史上第二位のメダル数だったという。もっともそれは競技種目が格段に増えたことを度外視してみればということらしい。それにしても今回のオリンピックでは金メ […]

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