「老僧が接木」2014年10月【No.136】

『駿台雑話』という書名を年配の方ならご存知ではないだろうか。小衲も学生時代に、この書が儒者である室鳩巣(万治元年ー享保十九年、1658−1734)によってものされた、江戸時代を通じて屈指の随筆であり、教訓書であることを学 […]

「随処に楽しむ」2014年9月【No.135】

先般ご招待を受けて或る書家の方の回顧展に伺った。心が洗われるような闊達自在ですばらしい書で非常に感銘を受けたが、その中で「揮毫忘我」と「随處楽」という二句が心に残った。読みは「毫(ふで)を揮(ふる)うに我を忘ず」「随処に […]

「古人越格底の禅修行」2014年8月【No.134】

二十五年以上も禅修行に邁進している旧参の居士の人と最近話していて、相国寺の独園老師が編纂された『近世禅林僧宝伝』中の越格底(おっかくてい、ずば抜けたの意)の古人の修行ぶりに言及したことがある。この書は返り点がついているも […]

「苦徹、珠を成す」2014年7月【No.133】

中山博道氏(明治五年ー昭和三十三年、1872−1958)といえば、大日本武徳会から史上初めて剣道・居合術・杖術の三道で範士号を授与された武道家で、その道ではまさに神様のような人であり、昭和初期の剣道界において髙野佐三郎と […]

「率先垂範」2014年6月【No.132】

先日の月例坐禅会に初めて出席された男性は或る有名な鉄道会社に勤務していて、これまで何カ所かで坐禅会にも参加され、また合気道の心得もあるということであった。「これほど本格的な坐禅会は初めてで驚きました」という感想を頂いたの […]

「われ以外みなわが師なり」2014年5月【No.131】

「切磋琢磨」という言葉がある。朋友が互いに励まし合って向上するの意味に用いられるのが通常であるが、元来は中国の四書五経の一つである『詩経』衛風・淇奥(きいく)篇の「瞻彼淇奥、緑・竹猗猗、有匪君子、如切如磋、如琢如磨、瑟兮 […]

「温故知新」2014年4月【No.130】

先月のコラムで「温故知新」の必要性に言及したが、その後、かく申すわが身がまだまだ「温故知新」の足りないことを痛感する体験に出くわしたことを、何かのご参考になればと思い、お話し申し上げたい。 まず最初は、東京在住の或る知り […]

「心の修養ということ」2014年3月【No.129】

先般のソチオリンピックでは日本人選手もなかなか頑張って、冬期オリンピック史上第二位のメダル数だったという。もっともそれは競技種目が格段に増えたことを度外視してみればということらしい。それにしても今回のオリンピックでは金メ […]

「来たって是非を説く者は、すなわち是れ是非の人」2014年2月【No.128】

菊池寛の『恩讐の彼方に』という短編小説がある。今はどうか知らないが、われわれの学生時代には教科書にその題名が記載されていたのを覚えている。有名な九州の耶馬溪(いわゆる青の洞門)の伝説を小説化したものである。実在の禅海和尚 […]

「新年を迎えて」2014年1月【No.127】

新年明けましておめでとうございます。昨年は台風18号で京都などの関西が、26号の被害により伊豆大島が甚大な被害を蒙った。いずれも「予想外の豪雨」による被害である。特に36人の犠牲者が出た伊豆大島では、専門家の調査団の教授 […]

「食品偽装と『無の境地』」2013年12月【No.126】

阪急阪神ホテルズの複数のホテルで提供している料理の食材が、表示されているものとは異なったものが7年半もの長きにわたって使用されていたことが10月22日に明らかとなって以来、次から次へと出てくるわ出てくるわ、挙げ句の果てに […]

「川上哲治氏と野球道」2013年11月【No.125】

南禅寺の境外塔頭である光雲寺では再三申しあげている通り、南禅寺本山からの委託で「南禅寺禅センター」の看板を掲げて、多くの坐禅希望団体を受け容れている。もとより小中高の修学旅行生が一番多いのであるが、一般成人の参加者もよく […]

「僧堂の現状を憂う」2013年10月【No.124】

わが光雲寺は、南禅寺本山よりの委託を受けて「南禅寺禅センター」として年間一万三千人以上の坐禅研修者を受け容れている。小中高の修学旅行生が一番多いが、大学生や一般企業などの研修もよく依頼される。そしてその数は年々増加の一途 […]

「現代医療の問題点」2013年9月【No.123】

最近よく有名人でガンになった人のことが話題に上る。歌舞伎役者の大御所である市川団十郎や中村勘三郎が闘病の果てに逝き、いままた坂東三津五郎が、歌舞伎座の夏の風物詩「八月納涼歌舞伎」の最後の演目「棒しばり」で親友の息子である […]

動中の工夫 2013年8月【No.122】

盛夏の昨今は雑草がよく伸びて、早朝から草引きに勤(いそ)しんでいる毎日である。檀家さんたちの大切なご先祖をお祀りした墓地以外に、前庭・中庭・畑と順々に除草していても、雑草の伸びるのは驚くほど早い。しかし伽藍を清浄に保つの […]

禅の「無の境地」に対する誤解について2013年7月【No.121】

先月の中旬くらいのことである。たまたまつけたBSプレミアムの「英雄たちの選択」という番組で、「勝海舟の秘策 江戸城無血開城への道」ということをテーマにして放映していた。以前から関心のあるテーマでもあったのでしばらく見てい […]

「禅修行のすすめ」2013年6月【No.120】

この光雲寺では再三申しあげている通り、南禅寺本山からの委託で「南禅寺禅センター」の看板を掲げて、多くの坐禅希望団体を受け容れている。もとより修学旅行生が一番多いのであるが、年々増加の一途をたどり、遂に先月にはこれまでで最 […]

「坐禅工夫」2013年5月【No.119】

坐禅を志す人はかなりの数に上るであろう。この光雲寺では南禅寺本山からの依頼を受けて「南禅寺禅センター」の看板を掲げて、年間一万三千人以上の坐禅希望者を受け容れている。それ以外に、午後8時から9時までの毎土曜の夜坐禅と、第 […]

「薫風、南より来たる」2013年4月【No.118】

よく禅僧の茶掛けなどに見られる句に「薫風自南来、殿閣生微涼」(薫風、南より来たり、殿閣、微涼を生ず)という有名な句がある。春から初夏の光景と思われるが、この対句はもともと唐代の文宗皇帝が作った起承の二句である「人皆苦炎熱 […]

「対大己法」2013年3月【No.117】

小衲がまだ出家する以前、京都近郊の長岡禅塾という学生禅道場で修行中、森本省念老師から提唱の際に道元禅師の「対大己法」について伺ったことを折に触れて思い出すことがある。 「大己」というのは自分よりも先達であり、徳の勝れた人 […]

楽道庵住職ブログ

facebook

臨済宗大本山南禅寺

× 閉じる